三十路、旅に出る

略して、みそたび

エゴン・シーレと丘と孤独

わたしがオーストリアのウィーンへ旅行に行くことに決めた大きな理由としてエゴン・シーレの存在がある。シーレはグスタフ・クリムトと共にウィーン分離派の画家として知られる。今日でも美術界での存在感は大きく、知名度も高い画家だが、その生涯は28歳で夭折という大変短いものだった。イタリア、ルネサンスの画家ラファエロ・サンティも37歳と若くして亡くなっているが、短い人生にも関わらずその功績は凄まじい。シーレもまさか死後100年以上経って、極東の国の田舎町の三十路女子が彼の絵を観るために旅をするなんて考えもしなかっただろう。

ウィーン旅行初日に勢い勇んでレオポルト美術館へと足を運んだわたしは「休館日」という初歩的なミスを犯し、他の予定の都合でシーレとの対面は二日後までお預けとなった。(レオポルト美術館は火曜休館!)ミュージアムクォーターという同じエリア内にある現代アートの美術館MUMOKには入ることができた。


f:id:mamemamets:20191207180441j:image

f:id:mamemamets:20191207180446j:image

大きな広場を挟んで左手にレオポルト美術館、右手にMUMOKが建っている。

そして、待ちに待ったリベンジの日、その日は木曜日だったため、なんと開館時間が21時まで!災い転じて福となす、じっくり心ゆくまで美術館に居ていい日だった。サンキュー、ゴッドと心の中で呟いた。(無宗教)

 

そして、シーレは素晴らしかった。彼は自画像が特に有名だが、わたしが気に入った作品を一つ紹介する。

 

f:id:mamemamets:20191207181629j:image

Kalvarienberg,1912

 

この作品の前に立ち尽くしながら考えたことは、暗い空が象徴するような寂しさや孤独、この丘のように遠く果てしなく続く人生。繰り返される夕方。毎日異国を歩き回って疲れ果てた足は、くたびれたスニーカーを履いてなんとか立っていた。ああ、一人ぼっちだなぁと心の中で呟いたとき、鼻の奥がツーンとなって、ちょっと泣きたくなった。シーレ自身はこの作品を描いた6年後の1918年に亡くなった。

もし、終わりがすぐそこにあると知っていたら、彼はどんな絵を描いただろうか。

 

美術館から出た時、時刻はもう夜だったはずだが、ウィーンは日が長く外はまだ夕暮れだった。

f:id:mamemamets:20191207183119j:image

ふらふらとホテルに帰って、よく寝た。

オポルト美術館でシーレを観るという目的は無事果たすことができましたとさ。

ウィーンよいとこ一度はおいで ア ドッコイショ